2010年3月4日木曜日

東本高志@大分さんのご意見を拝見して

私たちが一昨日発した声明に関して東本高志@大分さんという方が意見をしてくれています。
今日はその内容を紹介するとともにその内容に関して私たちの見解を載せたいと思います。

①東本高志@大分さんのご意見

「北教組に勝手に連帯する会(会長:赤いたぬき)」さんの主張される今回の北教組事件(と、あえて呼んでおきます)が「闘う組合である北教組への狙い撃ち弾圧」­という側面はたしかにあるだろう、とは私も思います。国家権力、そして、その中枢権力の尖兵としての検察 ・ 警察権力はどのような手でも使ってくるものと私たちは心得ておくべきものだと思いますので、そうした認識は必要だと思います。


しかし、ある無党派市議(某ML)の次のような発信に私はより共感を覚えます。


「そもそも思想信条の違いのある構成員のいる労組を特定政党の候補者の支持の決定をして選挙に動員することは、無党派の私からすると常識はずれの強制行為です。 / 政治の世界では、小選挙区制をやめ、民主党・自民党・共産党・社民党・国民新党 ・ みんなの党などが支持率に応じた議席を得られる中選挙区か比例代表にするべきです。/小沢一郎の策略に乗って導入された小選挙区制の擬制のもとに誕生した民主党­政権は、自民党政権を終わらせる歴史的使命を終えた現段階では、積極的に支持する根拠を私は感じません。(次善の消極的選択として当面維持することを認めるぐら­いの気持ちで、いたほうがよいと思います。どの政権になっても地元から住民運動をしていくのは同じです) / 今回の問題に関しては、北教組の組合員が選挙支持決定をした北教組執行部
を罷免・交代させ、組合を選挙からの中立させ、今回のようなことをなくすのがベストと思います」


上記のように指摘される問題を含む今回の北教組事件を「背景にあるのは選挙にはお金がかかりすぎるという現実」(北教組に勝手に連帯する会)などというのは、私­は問われている問題を不問に付して、あらぬ方向に争点をすりかえるたぐいの論法といわなければならないだろう、と思います。


今回の北教組事件は「政治資金規正法違反容疑」事件ですが、しかし、「きちんとした届け出をしていなかった」 (同上) などという軽微で形式的な違反が原因で北教組幹部が逮捕されたわけではありません。報道によれば、昨年8月の衆院選で民主党の小林千代美衆院議員の陣営に北教組­から裏金約1600万円が提供され、選挙費用に使われた、という労働組合から政治家への政治献金を禁じた政治資金規正法違反容疑で逮捕されています。そして、そ­の1600万円の資金の授受自体については、小林議員側は「(北教組委員長らに)個人的にお願いした資金」(毎日新聞 2010年3月3日)という形で、また北教組幹部側も「違法な資金提供などの事実はないと認識している」としてい
るものの、「たとえ資金提供があったとしても、個人の金を寄付しただけ」(同)、という形で資金提供の事実自体は容疑者双方とも認めている事案です。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100303k0000e040012000c.html


ちなみに労働組合から政治家への政治献金を禁じた政治資金規正法の規定は次のようなものです。「第21条 会社、労働組合、職員団体その他の団体は、政党及び政治資金団体以外の者に対しては、政治活動に関する寄附をしてはならない」、と明らかに労働組合からの特定の­議員への寄付(政治献金)を禁じています(注)。小林議員側も北教組幹部側もそのような条文の規定があることは知悉しているはずですから、同規正法違反を免れよ­うとして「個人的にお願いした資金」などと弁明しているのでしょう。


しかし、小林議員側に資金提供されたとされる1600万円もの大金は、 一介の公務員、 あるいは一介の労組役員が個人的に簡単に都合がつく程度の小さな金額ではありません。 仮に都合がついたとしても、個人が簡単に寄付できるほどの小さな金額でもありません。同資金は個人ではない労働組合として用意されたものであろう、とは検察なら­ずとも誰もが考えるところです。今回の検察の北教組幹部逮捕には国民に説明可能な相応の理由があるというべきなのです。それを「闘う組合である北教組への狙い撃­ち弾圧」 である、などと反省もなしにただ強弁してしまうのでは、 私は国民の支持はとうてい得られないだろうと思います。


注:同法では労働組合が組合活動の一環として行う政党への寄付行為自体は当然のことながら認められているわけですから、この規定をもって労組の政治活動を規制す­る法律という批判が仮にあるとすれば、その批判は当たっていないだろう、と思います。


上記で紹介した無党派市議の方が指摘されるように 「そもそも思想信条の違いのある構成員のいる労組を特定政党の候補者の 支持の決定をして選挙に動員することは常識はずれの強制行為」だという労働組合運動の原点に立ち返って、 この問題の本質を考えてみるべきだろう、 と私は思います。その反省があって、「闘う組合である北教組への狙い撃ち弾圧」という主張は生きてくるだろう、というのが私のこの問題の評価です。

②わたしたちの意見
・まず事実確認から
 分かりにくいかもしれませんが、わたしたちは今回の弾圧を「闘う労働組合にかけられた不当な政治弾圧」とは考えていません。むしろ普通の政治資金規正法違反容疑であると考えています。なのでそれに違反するようなことがあればそれはそれで処罰されるべきだと思います。違反は違反ですから。なのでそもそも東本高志@大分さんが主張されるような前提は共有していません。
・某無党派市議さんの主張について
 労働組合が特定の政党の支持を主張することの違和感というのは私も共有しています。しかし労働組合が求める政治路線と一致するのであれば問題ないと思います。問題は労働組合といった時にどのレベルまで拘束力が発生するのかということでしょう。それは組合と組合員の違いです。組合としては賛成だけれど個々の組合員は反対というのは普通に有り得る話です。たとえばAさんは組合が組合としてAという政党を支持するのは組合の日ごろの主張から理解できるが自分はBという宗教の信者でありその宗教はCという政党の実質的母体であり自分はCに入れるという場合もあるでしょう。極端な話Aさんが組合の委員長だとしてもいいのです。私は問題ないという立場です。問題は政党支持の内実と合意過程でしょう。とはいえこれは運動論の問題であると思います。また中選挙区制に戻すという話ですが、それには賛成します。今からでもそれを取り組むべきです。ですがそれと今回の問題を単線的に結びつけるのはどうかと思います。今回の問題はむしろ町村というどうしようもない右派政治家の討伐戦という色合いが濃かったのではないでしょうか?大人気ない行動といえばそうですが、片方ではいまどき珍しい熱血労働組合だと思います。
・今回の違反は誰の誰に対する違反なのか?
 法律違反は原則的に許されるものではありませんが、誰が誰に対して不利益をもたらしたのかを具体的に考える必要があると思います。
 今回問題となった選挙というものはいうなれば戦争です。みなさん思い起こしてください。小泉政権下で政権交代が起きることを誰が予想出来たでしょうか?そして小泉、安部、福田、麻生と続く時代に大衆運動がどれほどの苦闘を続けてきたのかを。そのような闘いのひとつの総括として選挙はあります。これまでの闘いに白黒つけるわけです。今回の選挙違反は直接的には自民党ならびにその支持者に対する不利益です。そしてその次に選挙法を尊重するすべての国民ならびに法律そのものに対する不利益です。私は政治的な判断において行動している人間です。そしてその判断基準に従えば前者の自民党ならびにその支持者に対する不利益に関しては黙殺する立場に立ちます。私は全体性を担保しませんし、自分を公平で客観的な立場に立っているとは思っていません(観念と認識における客観性は有していると思っていますが(笑))。それもあって前者の不利益はむしろ喜ばしいと思っています。後者に関しては当然別です。それは許されざる行為です。ですのでそれ相応の処罰は受けるべきでしょう。しかしです。これを良い機会に北教組や民主党をつぶそうとする連中の跳梁跋扈を許すわけには腹の虫が治まらないのです。本当に虫唾が走るのです。ムカツクのです。
・私たちが連帯し擁護するものとは?
 私たちは声明の最初の部分で誤りは正されるべきであると主張しています。しかし同時に北教組の労働組合という大衆団体としての運動性は最大限に擁護されるべきであると考えます。そして今かけられている攻撃とはまさに北教組の運動性に対する攻撃なのです。ここで私たちは大衆的な運動の組織とその運動性について考える必要性があります。みなさんご存知のように現在大衆的な運動組織とその運動性を形成することは非常に困難です。「個」の自立や「個」の(ゆるゆるの)ネットワークが幅を利かせている時代です。
でもですね。それはたしかに「無党派」とかで選挙の時にはたまにお祭り気分でいいかもしれませんが、系統的で体系的な一貫した攻撃の前ではハッキリ言って無力です。中曽根は社会党を潰すために国労をつぶしました。そのような攻撃が今後かけられない保障はどこにあるのでしょうか?改憲攻撃はもう来ないのでしょうか?小選挙区制の時に影で蠢いていた同盟系と生産性向上会議なる反革命的民族主義者集団は道州制導入に向けて再び結託しています。財界だって今後黙ってはいないはずです。
このようなときになんだかんだいって動けるのは大衆的な組織とその運動性なのです。そして運動性はとくに重要です。90年代のPKO闘争、98年のガイドライン闘争、ドンドン大衆的な組織による運動性は低下しています。そしてそれは今も同じ傾向なのです。全般的な力関係が根本的に変化しているなら別ですが、現実の社会情勢においては個々に分断された労働者の権利の後退が進んでいます。それゆえ労働組合の組織とその運動性はますます重要になってきているのです。むろん内部的な問題として克服される課題はたくさんあるでしょう。とくに教員の学生への授業力は根本的に改善されるべきでしょう。教育者としての教育方法というのも重要だと思います。教員として立派な人間がいれば生徒に絶対に良い影響を与えるからです。しかしそれはやはり運動のなかで行われるべき課題です。そしてそれを行うのは出来るだけ闘う指導部でなければいけないのです。なぜかというとヘゲモニーを中間派や右派に取られてしまうからです。私が東本高志@大分さんの主張を読んでいて一番違和感を覚えたのは「北教組執行部
を罷免・交代させ、組合を選挙からの中立させ、今回のようなことをなくすのがベストと思います」という某市議の主張を肯定しているところです。組織運営上、そのようなことが起きうるのはヘゲモニーが変わるときです。そして大抵の場合その後には運動自体が禁止されるのです。
・結局何が言いたいのか?
 私たちが主張したいことは、
①今回の件が法律違反だとしたら謝るべき。
②でも北教組の組織とその運動性は基本的に正しくそして非常に貴重である。
③それゆえ正すところは正しながらしかしその組織と運動性は維持発展させるべきである。
④また②と③について理解しない、もしくは真っ向から対立する人々が多く存在し、そのような人々が今回の事件を口実に攻撃してくることが予想されるのでそれは撃退しなければならない。
⑤それゆえ私たちはたとえ北教組がさまざまな間違いをおかしていたとしても支持する立場に立つ(間違いにももちろん限度がありますが、現在のような範囲なら全然OK許容範囲です)。
⑥多くの人々に理解を訴える。
というものです。

以上

1 件のコメント:

  1. 組合の公的な声明じたいを検討したいところですが、新聞報道によると不当な弾圧である、との声明のようえすね。実態がまったく正反対であると主張するのであれば、これ事実関係を正確に伝えてもらわないと難しいのですが、ただ一点労働組合が組織的に政党や議員を応援するばあいは、組織として客観的な手続きの問題が生じてくると思います。そこのあたりがどうなのかということだと思います

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